2018年4月25日水曜日

物語と極夜



角幡唯介さんの「極夜行」を読んで、Twitterに以下のように感想をつぶやきました。

「角幡唯介「極夜行」もの凄い。北極の太陽が上らない極夜を旅した本なのだけど、地理を探検するのではなく、心の中を探検しているという究極の心理主義が展開されてます。暗闇の中何度も探検の意味を語り直そうとした挙句、意味が繋がってく終盤は心理療法そのものです。心理士はこれは必読ではないか。」

「しかも、この本の読後感として、「人生の意味ってなんて人工的なものなんだろう」って思わされるんですね。僕は心理療法のことをとても考えましたが、読む人によってそれぞれ全く違う文脈で連想が膨らむ一作と思います。角幡唯介氏がご自身で最高傑作と書いてるけど、全く納得いきます。」


僕は面白かった本をTwitterで呟くと大体一区切りついて(ちなみに、あまり楽しめなかった本はつぶやかないようにしています)、関心は次の本に向かいます。

だけど、「極夜行」については、どうにも収まりがつかず、次の日になっても、つい「極夜行」のことを考えてしまうので、Blogで少し思ったことを書いてみようと思います。

Twitterのような文脈をぶった切るメディアでは上手く伝わりにくい類のことだと思うので。

ちなみに、僕の場合、何を読んでいても、結局心理療法のことを考えてしまうので(ライフワークってそういうものです)、話は心理療法と重なっていってしまうのだけど、それでもよければお付き合いください。

「極夜行」内容紹介

さて、内容ですが、Google books曰く、以下の通りです。


「ひとり極夜を旅して、四ヵ月ぶりに太陽を見た。まったく、すべてが想定外だった―。太陽が昇らない冬の北極を、一頭の犬とともに命懸けで体感した探検家の記録。」


まったくこの通りです。

登場人物は著者と犬だけなので、ひたすら独白が続くのですが、飽きることなく夢中で読める本です。

著者は暗闇を体験し、月を体験し、星を体験します。

そして、自分の体験から、「暗闇とは何か」「月とは何か」「星とは何か」「光とは何か」を語っていきます。

たとえば、次のような感じ(Kindleのハイライト機能はこういうとき便利だ)


「このように光があると人間の存立基盤は空間領域において安定し、同時に時間領域においても安定し、心安らかに落ち着くことができる。光は人間に未来を見通す力と心の平安を与えるのである。それを人は希望という。つまり光とは未来であり、希望だ。」


「闇は人間から未来を奪うのである。闇に死の恐怖がつきまとうのは、この未来の感覚が喪失してしまうからではないだろうか。闇は人間の歴史のなかで常に冥界や死と関連付けられてきたが、その恐怖の本質は闇そのものにあるのではなく、自己の内部で漠然と構築されていた生存予測が闇によって消滅させられてしまうことにあるのだ。」


このようにそこから得られる考察は大変示唆的です。

僕が生業としている心理療法にとっても重要なことが、深い説得力を持って描かれているように感じます。

その意味で、まぎれもなく、本書は名著です。大変な名著です。

だけど、ただの名著ではないです。

僕が引っ掛かり続けているのは、終盤です。


ありふれた、陳腐な洞察

長い旅の果てに、著者はある心理学的洞察に至ります。それはこの過酷な旅がご本人にとって、一体いかなる意味があったのか、一筋の縦糸を通すような洞察です。


問題はここです。

これは完全に僕個人の受け取り方なのですが、その洞察がとても「ありふれた」ものだと思うのです

場合によっては、陳腐と言ってもいいかもしれない(あくまで、僕はそう感じたということです。もちろん違う感じ方はあります)

そこにひっかかるのです。


もちろん、そのことは旅の価値を貶めるものでもないし、この本は間違いなく名著です。
だから謎です。

過酷にして、貴重な旅をして、そのプロセスをクールに、ときにユーモラスに描くような上質の考察を続けて、どうしてこんな「ありふれた」結論に至ってしまうんだ!?

そのことにひっかかり続けていたわけです。


しかし、徐々に、ここにこそ、この本の凄みがあるのではないか、と思うようになりました。

そのことを以下に書いてみたい。

自己を探検する

著者は現代社会には地理的な空白地域はなく、探検は不可能だ、と考えています。

つまり、地図の外にはもう出れない。そういう中で、探検をしないといけない。どうすればいいか?

その問いの答えが、この本では極夜でした。

つまり、極夜を「本当」に体験するというのは、システムの外側に出る探検的行為なのだと考えるわけです。


実はここでは探検の領域は、体験に置かれています。

その探検はもはや、世界ではなく、自己に向けられているのです。

だから、著者は繰り返し繰り返し、この旅の意義について、自問自答を続けます。

それはまさにギデンズという社会学者が「再帰性」という言葉で語ったことです。

自己を振り返り、省察し、自己の営みを意味付け、そうすることで自己を確認しながら、著者は旅を進めていきます。

それはきわめて、心理学的態度です。心理療法的態度です。

ハーバーマスが精神分析を自己反省の営みとしたように、著者は北極圏の極夜という、人間世界の外部に出ようとして、きわめて近代的で、人間的な営みを続けるのです。

その果てに「ありふれた」洞察があります。

ありふれた洞察が、旅全体を意味付け、意義を持たせ、著者の心にまとまりをもたせます。


なぜこれほどの旅で、こんなに陳腐な洞察なのか?

もしかして、この袋小路は僕らの生き方そのものなのではないか?


極夜を起動する

現代を生きる僕らには地図の外側が存在しません(共産主義の崩壊以降、資本主義の外部はもう存在しない)

でも、資本主義は常に外部を、フロンティアを求めるから、僕らは存在しない外部を探し続けます。

そこに、物語が必要とされます。


物語は外部のない世界に外部を作り出します。

「ハリーポッター」とは、イケてないどん詰まりの生活を送るハリー少年に、魔法の世界という外部をもたらす物語です。

物語によって、僕らはあっという間に日常世界の外部に連れ出されます。


それがよく現れるのは危機の時です。

ある日突然、大切な人に裏切られる。ある日突然、大切なものが失われる。

それは危機です。

危機だからこそ、僕らは物語を始めます。

僕らの人生はそのとき物語のとば口に立たたされて、そこから旅を繰り広げることになります。

そうじゃないと、僕らはその危機に持ちこたえられません。不可解なものほど恐ろしいものはないからです。

そして、物語によって僕らはその危機を心に収め(本当に大変なのだけど)、そして「人生の意味」という洞察を経て、まとまりを獲得します。


そして、それは人生の危機に限りません。

僕らは常に自己を物語り化せざるを得なくなっている。

僕らは自己省察から逃れられない。

僕らは自分の人生を絶えず、意味づけようとします、物語化しようとします。

外部を持たない僕らは、人生に耐えるために、筋の通った物語を必要とするのです。


それが、まさに極夜の探検家のなしたことです。

とすると、心理療法家とは、もしかしたら、北極圏に行かずして極夜を起動する仕事と言えるのかもしれない。

ありふれた洞察
ともかく、そうして最後に「ありふれた」洞察がやってきます。

れは言葉にしてしまうと、陳腐で、つまらないものかもしれない。

だけど、それは旅を通じて勝ち得た物語です。洞察です。

それは血肉化し、確かな縫い糸となるような何物かなのです。


そして、付け加えるならば、それは「ありふれた」ものだからこそ、価値があるものなのかもしれない。

「ありふれた」、陳腐なものだからこそ、僕らは日々の生活に帰着できるのかもしれない。

「ありふれた」ものを本気で生きることこそが、外部のない世界を生きる僕らが切実に必要としているものなのではないか?


こういう問いが、この文章を書かせています。

「極夜行」は僕に訴えかけます。

一体、人生の物語とは何なのか、洞察とは何なのか?

僕らが生きるとはどういうことなのか?

生きていることを振り返りながら生きるとはどういうことなのか?

そして、ありふれていること、陳腐であることとは、いったい何なんだ?


そういう問いがあって、長々と書いてきましたが、

未だ「極夜行」を消化できずにいます。

そういう意味で、この本は紛れもない名著です。

もしかしたら、それが一番言いたかったのかもしれない。

もしよければ、読んでみてください。

2018年4月24日火曜日

「心理療法の人類学」入門セミナーのお知らせ



「心理療法家の人類学」刊行記念
心理療法の人類学」入門セミナー
―人類学はケアをいかに変えるか?

翻訳書「心理療法家の人類学ーこころの専門家はいかにして作られるのか」(誠信書房)の出版を記念して、「心理療法の人類学」入門セミナーを行います。

「心理療法とはいかなる人類学的営みであるのか?」「よりよき心理療法のために人類学は何をもたらすのか?」「心理療法家になることで私たちは何者になるのか」をテーマにた入門編です。心理療法を学び、実践する過程で私たちは様々な疑問と出会いますが、人類学はそれらに対して従来とは全く異なる光を当ててくれます。そして、そのことによって私たちの臨床実践は変わっていきます。

本ワークショップでは臨床心理学者と医療人類学者がコラボレーションして、「心理療法の医療人類学」の世界をひらきたいと思います。



日時 722日 10時から17(途中1時間休憩)
場所 NATULUCK茅場町新館 3階大会議室
料金 早割9000(531) 通常11000
定員 40(先着順)
講師 東畑開人(臨床心理学) 中藤信哉(臨床心理学) 磯野真穂(医療人類学)
対象者 心の治療に関心のある方





*当日、特別価格での書籍販売があります



趣旨 
 心理療法は、悩みや生きづらさを抱えるクライエントと心理療法家の間で営まれる治療的営みです。一方で、「心のケア」の歴史を考えたとき、心理療法は人類学的な営みでもあります。つまり、チンパンジー同士で行うハグから始まり、原始のシャーマン、夢見る神官、科学的医師が担ってきたケアの役割を、現代の心理療法家は引き継いでいるのです。そのような観点から見たとき、心理療法とはいかなる営みに映るのでしょうか?そして、そのような人類学的認識は心理療法に何をもたらすのでしょうか?

 講師の一人である東畑は『野の医者は笑う』、『日本のありふれた心理療法』、そして新刊となる翻訳書『心理療法家の人類学』という一連の著作を通して、「心理療法の人類学」というプロジェクトに取り組んできました。確かな実体を持つように見える心理療法を、人類学によって相対化することで、心理療法のよりよい実践を目指してきました。

 本ワークショップは、人類学的心理療法論について平易かつ総合的に解説したいと思います。いわば、この分野に関心を持つ人のための入門編です。

 さらに、本ワークショップでは人類学者である磯野真穂氏を対話相手としてお招きします。磯野氏はこれまで、摂食障害や、医療における不確実性といった心理療法とも馴染み深いテーマの探求を続けてこられました。人類学者との対話によって、心理療法をどこまで揺らすことができるのか?そして、そのことによってよりよいケアは可能になるのか?そうしたことを一日かけて考えてみたいと思います。

 本ワークショップを通じて、従来とは異なる心理療法論の全貌を露わにし、学派を超えた新しい心理療法の語り方を提示できればと考えています。現在心の治療に携わっておられる方、あるいはそれを学んでいる方、現在心の専門家の養成に携わっている方々、そして心理療法というものの不思議さに戸惑っておられる方々にとって、有意義な学びの時間にしたいと考えています。

スケジュール

1部 10時から12
ケサリードのための心理療法論
―ヘルス・ケア・システム理論ー

 人類学者レヴィ=ストロースは魔法を信じていないケサリードが、魔法使いのからくりを知ったことで大魔術師になっていくプロセスを描いています。本パートでは、ケサリードが魔法を学んだようにして、心理療法のことを学んでみたいと思います。

つまり、心理療法は人類学的に解剖して、さらにそこから逆算することで、よりよき心理療法はいかにして可能なのかを考えてみたいと思います。このとき、特に医療人類学の泰斗アーサー・クラインマンの「ヘルス・ケア・システム理論」に注目し、事例の提示を行いたいと思います。

2部 13時から1445
心理的治療はいかにして可能か?
-「心理療法家の人類学Ⅰ」ー
 私たちの抱える問題のほとんどが、生物-社会-心理の3つの次元が関わっているものであることはよく言われます。その上で、特に人間の生物学的な側面にアプローチしていくか、社会的環境にアプローチしていくか、あるいは心理的次元にアプローチしていくかに、それぞれの専門性が宿ると言えます。

 本パートでは、問題の心理的次元にアプローチすることがいかにして可能になるのかを人類学的に検討してみたいと思います。そこには治療者側の働きかけがあり、そして心理学的作業があります。そのプロセスを具体的な事例を出しながら、人類学者と共に検討したいと思います。

3部 15時から17
心理療法家とは何者か? ―「心理療法家の人類学Ⅱ」
 本ワークショップの最後は、心理療法家その人について人類学したいと思います。私たちは何者であるのか?なぜ私たちは心理療法家を目指したのか?そして心理療法家になることによって私たちの心はどのように変化してしまったのか?そういった問題について、人類学的に考えます。

 「心理療法家になる」とはある意味で、とても窮屈なものです。それは心理療法の訓練が、様々な仕掛けを通じて、私たちを特定の主体へと象るからです。そのような訓練の仕組みを人類学的に検討しながら、心理療法家とは何者かを見てみましょう。それは現在、訓練に携わっている方や、訓練を受けている人にとって、自分が何に参与しているのかを知る機会になると思われます。


講師紹介
東畑開人
1983年東京都生まれ。京都大学教育学部卒、京都大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。沖縄の精神科クリニックでの勤務を経て、現在、十文字学園女子大学専任講師。博士(教育学)・臨床心理士。著書に『美と深層心理学』(京都大学学術出版会2012)、『野の医者は笑う―心の治療とは何か』(誠信書房2015)、『北山理論の発見』(共著・創元社2015)、『日本のありふれた心理療法―ローカルな日常臨床のための心理学と医療人類学』(誠信書房2017)。訳書にDavies『心理療法家の人類学―こころの専門家はいかにして作られるのか』(誠信書房 2018)

中藤信哉
1985年兵庫県生まれ。京都大学教育学部卒、京都大学大学院教育学研究科博士後期課程研究指導認定退学。京都大学大学院教育学研究科附属臨床教育実践研究センター特定助教を経て、現在、京都大学学生総合支援センターカウンセリングルーム特定助教。博士(教育学)・臨床心理士。著書に『心理臨床と居場所』(創元社2017)。共訳書にDavies『心理療法家の人類学―こころの専門家はいかにして作られるのか』(誠信書房2018)。

磯野真穂
1976年長野県生まれ。オレゴン州立大学留学後、専攻を生理学から文化人類学に変更。早稲田大学文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)2001年よりシンガポール、2011年より日本に摂食障害の調査を開始。2011年から2016年まで漢方外来と循環器外来で不確実性をテーマにしたフィールドワークを実施。2016年より、「一億総やせたい社会を見つめる文化人類学ワークショップ・からだのシューレ」を開催。研究の関心は、身体、食、医療、科学技術。主な著書に『なぜふつうに食べられないのか拒食と過食の文化人類学』(春秋社)、『医療者が語る答えなき世界「いのちの守り人」の人類学』(ちくま新書)、“Fat Studies Reader(New York University Press,2009・分担執筆)など。


主催 白金高輪カウンセリングルーム 
協賛 誠信書房