2021年1月18日月曜日

「夕闇の心理学―河合隼雄と小室哲哉」をアップしました

 以前、河合隼雄の「中年危機」という本の感想文のようなものを書いた。諸般の事情でお蔵入りになってしまったのだが、僕なりの現代のカウンセリング論にもなっているので、ここに掲載します。お暇な時にでも。

 

★★★

夕闇の心理学―河合隼雄と小室哲哉


この本が「中年クライシス」という名前で最初に出版されたのは1993年。私はちょうど10歳で、中学受験のための塾に息も絶え絶え通っていた。その塾では毎週日曜日に模試を受けなくてはいけなかったのだが、その国語の問題文に頻出していたのが河合隼雄だった。

思えばその頃、世間は臨床心理学ブームだった。「物は豊かになったが心はどうか」と河合隼雄は語っていて、その言葉は多くの人の心を打っていた。メディアで、書籍で、そして国語の問題文で、彼は心について人々に語りかけていた。

私もまた深く打たれてしまった一人だ。中学受験がせつない結果に終わったあとも、折に触れて河合隼雄の文章を読み続けていた。少年クライシスだったのかもしれない。そして、いつしか「そうなのだ、心なのだ」と確信するようになり、かつて河合隼雄が教えた大学に進学し、結局臨床心理士になった。

河合隼雄はスーパースターだ。彼は「心の時代」の輝ける星だったし、私のあこがれであった。

ところで、1993年と言えば、私が初めてCDを買った年でもある。買ったのはtrfのシングル「EZ DO DANCE」。小室哲哉がスーパースターになっていかんとする時期だったのだ。せっかくなので、Apple Musictrfの当時の楽曲を聴いてみる。底抜けのアップビートがまぶしい。安室奈美恵も、H jungle with Tも同じだ。小室哲哉の楽曲は、令和に再生すると、やはりちょっと明るすぎる。

だから、思う。スーパースターの巨大な輝きは、半分は本人の放つ光で、もう半分は時代の放つ光の反射によるものなのではないか。小室哲哉の音楽と同じように、河合隼雄の心理学もまた、あの時代の光を一身にまとっていたのではないか。そう、彼らは時代の子だったのだ。

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 私が少年クライシスにあった頃の日本は豊かだった。1993年はバブルがはじけようとしていた時期で、その後に長い不況へと突入していくわけだけど、まだその頃の日本社会には安定性があった。日本型経営はしぶとく生きていて、多くの人が自分のことを「中の上」だと感じるくらいの分厚い中間層が機能していた。人々は豊かさの中に包まれていた。だからこそ、「物は豊かになったが心はどうか」という言葉にはリアリティがあった。

 だけど、私が大学に入学した2001年頃から、社会は変質し始める。小泉純一郎が首相になり、新自由主義的な改革が始まった。非正規雇用が増え、格差は広がり、貧困はリアルになった。そう、社会が貧しくなって、ふんわりとした包摂性を失い、いつそこからこぼれ落ちてしまうかわからなくなってしまったのだ。私たちは自分の人生に安定性を感じられなくなったから、生き延びること、サバイブすることに必死になった。「リスクは豊かになったが心はどうか」。それが現代を生きる私たちの標語だ。

私もまた、心理士としてのキャリアを歩みながら、そのことを実感してきた。仕事を探すのはずっと大変だったし、一度は失職したこともあった。今こうして心理士として仕事を続けることができているのは、本当に運が良かったからだとしか言いようがない。

そういう社会の変化に伴い、臨床心理学も大きく変わった。河合隼雄の時代には輝いていた「自己実現」は色あせてしまい、それに伴いユング心理学は勢いを弱めた。いまやリスクをいかにコントロールするかに役立つ認知行動療法の全盛期になっている。もちろん臨床心理学ブーム自体もとっくに収束してしまった。

こういうことだ。かつて輝いていた河合隼雄の心理学は今では夕暮れにあるのではないか。前提となってきた豊かな社会が失われてしまったからだ。ならば、このリスクあふれる新しい社会で、河合隼雄の心理学をどう受け止めればいいのか。それはたぶん、河合隼雄に憧れて、臨床心理学の道に進んだみんなの問いだと思う。

だけど、今回この「中年危機」を読み直して驚いた。河合隼雄の言葉は全く古びていなかったからだ。ここには現代を生きる私たちの心が書いてある。どういうことか。

確かに、この本もまた、日本社会の豊かさを前提としている。実際、この本で取り上げられている中年たちの生活は安定していて、彼らはその豊かさが失われることを心配してはいない。

河合隼雄はそれこそが「中年」だという。つまり、人生の前半が「自我を確立し、社会的な地位を得て、結婚して子供を育てるなどの課題を成し遂げるための時期」であるのに対して、人生の後半-すなわち中年はそのような確かな達成の上で自分が「どこから来て、どこに行くのか」という根源的な問いに向き合う時期だと彼は語る。

生きるのに必要なものを手に入れ終わったあとの人生。これを素朴に受け取るならば、現代は中年になるのが難しい時代だ。年金を当てにできない「人生100年時代」で、失業や転職の可能性を含みこんで働き続けないといけないから、穏やかな安定を前提にできる人はそう多くない。私もいまや37歳で、年齢的には中年なのだろうが、「どこからきて、どこへ行くのか」と実存的なことを考えるような余裕はなくて、いまだにキャリアをどうするか、自分はサバイブできるのかを心配して暮らしている。リスクが豊かすぎるから、自我も社会的地位も確立するのが難しい時代なのだ。

にもかかわらず、この本が全く古びていないのは、河合隼雄が語っているのが親密性の次元だからだ。この本はひたすらに家族や夫婦を見つめている。しかも、離婚や浮気、不貞のような親密な関係における裏切りと傷つきに焦点を当てている。すなわち、この本における「中年」とは、仕事やお金などの社会的資産を得た人のことではなく、誰かとのつながりを一度は獲得したが、そのつながりが揺らぎ、壊れようとしている人のことなのだ。

 ★

もっとも印象的だったのは、「二つの太陽」という章だ。冒頭で「夕日が美しく沈んでいくのを見ていて、ふと後ろをふりむくと、もう一つの太陽が東から昇ってくる」という美しい夢が示され、熟年夫婦の妻の方が新しい恋に目覚める物語が描かれる。夕日が長年連れ添ってきた夫婦の関係を象徴していて、もう一つの太陽が新しい恋を象徴している。

重要なのは新しい太陽がどのように光り輝くかではない。それではただの恋愛物語だ。中年をテーマとするこの本の主眼は、古い太陽の夕闇の方にある。長年連れ添ってきたはずのこの人が、突如全く異質な他者に変貌する。穏やかな日常が破断して、傷つきが発生する。二人はそれぞれに深く孤独になる。日は落ちつつあり、残された時間は少ない。それでも「勝負はこれから」と、もう一度関係を結びなおそうとする。

「勝負はこれから」。それは太陽を高いところにまで打ち上げて、夏を楽しむための勝負ではなく、夕闇の中で見えない相手とそれでもつながろうとするための冬の勝負だ。

中年の「孤独」とは、つながりの中での孤独なのだ。若いときには体が同じ空間にあるだけで豊かにつながれたけど、中年だとそうはいかない。なぜなら、中年はそれぞれがあまりに個性的な存在になっているからだ。自分と相手が異なる人間であることから目を背けることができない。

しかし、河合隼雄はその「孤独」を悪しきものだとは捉えない。なぜなら、それこそが個別性であり、個人であることの証左だからだ。もちろん、孤独はつらいし、痛ましい。だけど、孤独に向き合い、孤独を生きることによって、他者と以前よりも深くつながることができる。そういう夕暮れの豊かさを河合隼雄は描く。

私は今、東京でカウンセリングルームを開業している。安くはない値段を支払って、カウンセリングを受けにやってくる人の多くは、孤独な人たちだ。孤立ではなく、孤独だ。つながりはある。しかし、孤独である。だから、孤独と向き合うために、彼らはカウンセリングを求める。逆説的なことだけど、真に孤独になるためには、他者の力が必要なのだ。

「つながりはできたが、孤独はどうか」。この本から響く現代的なメッセージはこれだ。つながりを素朴に肯定し、つながれなさを前に退却してしまう現代にあって、私もまたそういう思いで、孤独をめぐる仕事をしている。

★ 

河合隼雄はスーパースターだ。だけど、彼はまぶしく輝く一等星ではなく、鈍く光る夕闇の星だ。太陽が沈んでいくときの喪失と孤独こそが、河合隼雄の心理学の場所なのだ。

そして、心とは本質的にそういうものなのだと思う。心は太陽が南中しているときには目立たない。心は光の中ではなく、影の中に宿る。だから、彼はあの頃、「物は豊かになったが、心はどうか」と語っていたのだろう。光あふれる時代に、影を語ろうとしていたのだ。彼はそういうタイプのスーパースターだった。

ああ、小室哲哉のサウンドも、よく聞けばそうだったではないか。アップテンポの躁的なビートは、次の瞬間にメランコリックなメロディに転調する。それが彼の音楽性であり、あの頃の時代精神であった。

10歳のとき、私はアップビートばかりに夢中になっていたけど、そんなだから私は少年クライシスだったのだろう。自分の心の陰る部分が見逃されていたのだ。アップビートはメランコリックなメロディと共にある。そういうことを河合隼雄は私に教えてくれた。あの頃は国語の問題文を通じて、その後も臨床心理学という学問を通じて。